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天龍源一郎にまつわる私的な想い出あれこれ話(2)SWS〜WAR

天龍がSWSに移籍した当時は、就職したてのころで、時間的に余裕がなかった。SWSも観には行きたいが、行かれないというタイミングが続き、そうこうしているうちに崩壊。
 
天龍と前田みたさにWOWOWにまで加入した私は、本格的に焦りだす。実はジャパン対全日本も生で見逃していたし、SWSをはじめ見逃して後悔する大会が一杯でてきた。逆に生観戦した下関大会の一か月後にハル薗田が飛行機事故で急逝したため、一期一会という言葉を重く噛みしめるようにもなってきていた。
 
多分この経験がなければ私がこんなに生観戦することはなかっただろう。そういう意味で天龍には私を焦らさせてくれてありがとう、といいたい。
 
WAR時代ではやはり新日本との対抗戦が外せない。1番記憶に残るのは、対猪木のシングルで天龍が勝った翌日、大阪府立第一で開かれた「1.5」である。
 
馬場と猪木の2人からピンフォールを奪った唯一の男として、歴史に名を刻んだ天龍。大阪で迎え撃つのはタッグながら初対決になる武藤敬司!この状況で府立が埋まらないはずがない。誰しもがそう思っていた。
 
だが、フタをあけてみたら1階は辛うじて埋まっているが、2階席はガラガラ!しかも真冬なのに、暖房を入れていないのだ。屋内の大会であれほど体感的にも入り的にも寒い体験はこの日だけしかない。他にも入りの悪い大会はいくつもみてきたが、この日ほど何をやっても無駄な空気が蔓延していたことは記憶にないくらいである。
 
ちなみに天龍絡みでは、WWF初のマニアツアーで、ところも同じ大阪(こちらは大阪城ホール)でやはりガラガラな大会を経験しているが、この大会もいろいろチグハグで、今のWWEと比べると、まるで別団体のような気さえしてくるくらいヒドイ大会だった。メインのヨコヅナ対天龍も不透明な感じで終わり、慌ててWWFサイドが英語(翻訳なし)で会場に再戦を約束したが、ヨコヅナは後に急逝。結局私にとっては最初で最後のシングルマッチになった。
 
とはいいながら、こうした大会の方が得てして記憶には残るものである。名勝負だけなら、四天王時代に全日本でも散々みてきているけど、それ以上に印象に残るのがやはりこうした天龍絡みというのが興味深い。
 
しかも生で見ているはずの対猪木初遭遇(福岡ドーム)や、猪木からピンフォールを奪った1.4(東京ドーム)なんかは全く思い出せないのだから、つくづく人間というのは面白いものである。
 
そうそう武藤敬司で思い出したが、広島グリーンアリーナで行われた武藤・蝶野対天龍・長州戦で、天龍が武藤を挑発し「ムタで来い!ムタで!」といって武藤を下がらせたのも圧巻だった。これも東京からの帰りに広島で下車して生観戦した。
 
かなりイレギュラーだったらしく、ムタの変身道具?が入っていたであろうジュラルミンケースを持った若手が一階後方をあたふたしていたのをよく覚えている。
 
 考えてみたら私がみた範囲で同じ試合に武藤敬司グレート・ムタが出ていたのはこの試合くらいだろう。ローンバトルを強いられた蝶野にしてみたらとんだとばっちりだったかもしれないが。 
 
とにかく色んな意味で天龍は規格外だったし、その面白さが十分発揮されたのが、WAR時代だったのではないかと思うのだ。鶴龍対決が真っ向勝負の面白さだとしたら、WAR時代は天龍の柔らか頭を堪能させてもらえたのだ。
 
 

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