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天龍源一郎にまつわる私的な想い出あれこれ話(1)全日本編

天龍源一郎引退に関しては思うところがいくつもあって書ききれない。1番最初に意識したのは、土曜トップスペシャルかなんかでみた対テッド・デビアス(シニア)戦だった。当時山口県では全日本も国際も放送がなく、プロレス中継といえば新日一択しかなかった。たまに中継がある時は、特番でしか流れないため、割と食い入るようにみていた。
 
しかし、当時の全日本中継の拡大版は、なぜか生中継より日プロや古い試合を中心に構成されていることが多く、天龍対デビアスはほとんどラストしか流れてなかった。
 
大学時代、広島にいた4年間は全日本と新日本が見られる夢の空間だった。レギュラー放送ではないが、全日本ではプロレスフレッシュスペシャルとして、主に前座で活躍する選手をとりあげる番組があった。 
 
しかし、当時の全日本の中で本当にフレッシュなのは三沢と越中くらいで、大仁田は怪我で欠場していたし、確か薗田は海外にでていた。渕は当時で30歳という年齢で、あとは極道コンビやロッキー羽田らお世辞にもフレッシュとは言い難いメンツだったのをよく覚えている。そして年齢的にはいてもおかしくない天龍はこの中にはいなかった記憶がある。あくまで私が見たわずかな回だけだが。
 
そしてジャパンプロレス対全日本が開戦し、中継がゴールデンタイム進出するタイミングで、私は再び天龍を意識するようになる。
 
それはUN(次期王者決定のためか、次期挑戦者決定のためか、記憶が定かではないが)のトーナメントで、ジャパンのキラー・カーンと天龍の一騎打ちが組まれたことである。大相撲出身者同士のぶつかり合いは、それまで新日本を見慣れていた目には大変新鮮だった。なぜか見たのはそれ一度きりなのだが、凄く記憶には残る試合だった。
 
アメリカでカーンが大物なのは知っていたが、新日にいた時はその体格が生きる対戦相手がなかなか現れず、印象が薄かった。しかし、対天龍戦ではじめて私はカーンの実力を思い知ることになった。
 
そう、相手の実力を光らせるというプロレスの奥深さを私は天龍から教わったのだ。正直何度もみた長州との絡みより私には、一度しか見ていないカーン戦の印象がとても大きいのである。
 
やがて長州全日本離脱に伴い全日本中継はゴールデンタイムから深夜10時台に移行する。そして天龍革命勃発!この時は山口県に戻っていたが、たまたま下関に全日本がくることがわかり、まだ生観戦の習慣がなかった私は、思い切ってチケットを購入。
 
しかし、なぜか隣に座っていた客がしたり顔で新日讃歌を私に語り始めて辟易とした。何も全日本の会場にきてまで…と思ったが、当時は狂信的新日信者がたくさんいたので仕方ない。が、この一件で私はプロレスファンが大キライになり、平成になるまで自分から接触をたつことになってしまった。
 
ちなみに彼はお目当てのロードウォリアーズの試合が終わると会場をあとにした。メインは全日本対天龍同盟である。私は内心うるさいのがいなくなってホッとした。と同時にあまりにクサせられた全日本に肩入れまでしていた。
 
メインの6人に「全日本の意地をみせてくれ!」と祈りながら、私はその時を待っていた。
 
ちなみにメインのカードは鶴田・カブキ・薗田対天龍・原・冬木。今生きているのがカブキと天龍だけというのが時の流れを感じさせるが、試合内容は今でも思い出せる。
 
試合では実力者、薗田が若手の冬木をほぼ磔にする展開。曲者カブキが原や天龍を牽制して、
龍原砲はカットにも入れない。そして要所要所で鶴田が登場し、冬木のダメージを倍加させていく。
 
ここで冬木の打たれ強さと、薗田の巧さに感銘を受けた私はいつしか大きな声で冬木の名を叫んでいた。
 
そして鶴龍が相まみえた瞬間、会場のボルテージは最高潮に達する。あんな空気になった下関体育館は後にも先にもあの瞬間以外に経験がない。
 
天龍が提唱した田舎のノーテレビの会場でも手を抜かない革命は本当に目の前にあったのだ。そこには新日が揶揄したぬるま湯の全日本の姿はどこにもなかった。
 
この時はじめてプロレスTシャツを買った。もちろんレボリューションである。一枚は着古してしまったが、一枚は三回しか袖を通さず今でも着られる。私は基本Tシャツは買わない派で、それは今も変わらない。だから私がTシャツを買うというのは、本当に特別なことなのだ。
 
それから何戦か生観戦したのち天龍はSWSに移籍する。サベージ戦という置き土産を残して。
 

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