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線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第73回 ブラック企業と働き方について(5)

これから書くことは実を言うと、つい最近カウンセリングの中において流れで話をしたら、先生から「それはおかしい」といわれて、はじめて自分が「ブラックな働き方」をしていたことに気が付いたお話です。

 
最初に営業職に就いた時、給料明細というものをみたのですが、基本給がえらく低かったのです。まあぶっちゃけていえば学生時代のバイトの方が高かったということです。バイトの給与の方が桁ひとつ違いましたからね。
 
当時の営業というのは夜討ち朝駆けみたいなことが基本でした。ですので、タイムカードもなく(出社時間はなぜかきっちり決まってました)、終わりの時間も定かではありません。
 
うまいこと考えた?もので、一日8時間以上働けば残業代が発生しますが、それをいちいち払わないでいいように、最初から時間外手当が明細の中に入っていたんですね。しかも営業成績で得られる獲得賞金を足してやっと一人前の給料になるシステムでした。といっても手取り20万なかったんですが・・・・
 
要は売って稼がないとバイト以下の給料になるため、いやが応でも働かないといけないようになっていたんですね。私の上司クラスが現役営業マンだったころは、高度成長期だったこともあって黙っていても、ものが売れた時代でした。だからそういう給与体系でも全く問題がなかったのです。
 
ですが、いくらバブル時代とはいえ地方はそれほど恩恵を受けていなかったんで、私等の時代は飛び込み営業も必須でした。営業スキルがあって、最初から営業マン目指してきた人間はここを難なくクリアしていきました。
 
ですが、なんせ大学時代引きこもっていた人間嫌いの私が、自分を変えようと修行のつもりで飛び込んできたわけで、営業のイロハの「イ」の段階で私は打ちのめされたわけです。
 
そりゃそうですよね。承認欲求が人一倍強いのに、承認される確率がおそろしく低い飛び込み営業なんかやったら精神も摩耗します。今考えれば簡単にわかることですが、当時はそういうからくりさえ理解していませんでした。
 
嫌ならすぐにやめればいい・・・・そうなんですが、当時の私は逃げる選択肢はまるで考えていませんでした。同期や先輩がバタバタやめていく中、結局8年半も働きました。
 
実際ある程度「修行」の目的は達成され、表向きいい顔できる人間にはなれました。8年も働きゃある程度それなりに社会人としてのスキルもできあがるのです。まあ8年も働く必要はなかったなあとは思いますけどね。