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天龍源一郎龍魂五番勝負(SWS時代)第5戦 1991.11.10 札幌中島体育センター 対○阿修羅原(阿修羅原復帰戦)

天龍源一郎龍魂五番勝負(SWS時代)第5戦 1991.11.10 札幌中島体育センター 対○阿修羅原阿修羅原復帰戦)

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本当は生でみた試合以外は書かないことにしている観戦記だが、これはどうしても書いておきたい。1988年11月原の全日解雇→天龍SWS移籍→2年後の原復帰というざっとした流れがあって、阿修羅原の試合自体が二年ぶり。「もう三か月あればベストにもっていける」という原のコメントにもあった通り、確かにあと3か月は欲しかったかなという印象はある。想像でしかないが、たぶん肉弾相打つ闘いであった全日時代の死闘と比べると「こんなもんじゃないはずだ」という思いは強かったんだと思う。SWSの放送席は比較的甘めの評価をしていたが、正直当時この放送をみていたときの記憶からすると物足らなかったのを覚えている。

その理由はやはりリング内で激しくぶつかりあうのが信条だったはずの、原や天龍がコンディションに気を配ったのか?場外戦でお互いを痛めつけあう展開になっていたからだ。ファン心理としては今できることを精一杯やろうとしてくれた2人になんら含むところはない。もちろん場外でのダメージが試合の結末に影響したかといえばそうでもないので、場外戦を悪いとは思わない。でものちにWAR等で実際に龍原砲をみてきた中でいうと、この時の原がベストコンディションだとはとても思えないのだ。

しかしそれについての言い訳を試合内で2人は一切しなかった。むしろ不器用なりに彼らの最大限のプロレスをしていたように思う。2年のブランクというのはこのクラスの選手でもベストでしあげてくるのは難しんだろうなあと感じずにはいられなかったのは、当時も今も同じ思いだ。

この時のことがあってか、WARの引退後スパッとプロレス界からは足を洗って二度とリングには上がらなかった阿修羅原。その生きざまを考えると最後にナチュラルパワーズが乱入して、それを力で排除できなかった原のもどかしさや、最後にマイクを持たざるをえなかった心情なんかが今みるとみているこっちの心にグサグサ突き刺さる試合だった。当時は週プロのバッシングもあって、天龍やSWSに肩入れしてみていたけど(もちろん今でもそうだが)、時を経て冷静にみてみるとやっぱ復帰にかけた思いとそれを受け止めた思いとが交差するなんともいいようのない試合として見て取れた。こういう試合というのはもう二度とみられることはないんだろうなあ。

余談だが、「あ、しゅら~」で始まるテーマ曲「阿修羅」は原さん自身があまりお気に召されていなかったらしく、この復帰戦からはヴァンへイレンの「DREAMS」が入場テーマとして使われている。